2012年5月28日 都営三田線西台駅前で日本共産党は「陸上自衛隊レンジャー訓練は中止せよ!」の緊急街頭演説をおこないました。
田村智子参院議員が訴えました。
この訓練計画は6月12日(火)の午前8時30分から正午にかけて、板橋区の荒川河川敷にヘリコプターで降下した30名の隊員が、板橋区内の住宅地・商店街を通り、練馬駐屯地まで行進するというものです。
隊員らは、飲まず食わずで3ヶ月に及ぶ過酷なレンジャー訓練の最終段階として、市街地行進します。
小銃(弾薬なし)、銃剣、顔にまで迷彩色顔料を塗り、完全装備です。
田村さんは、自衛隊レンジャー訓練は防災訓練ではなく軍事訓練であることを指摘。さらに隊員を長期にわたり肉体的にも精神的にも極限状態まで追い込む訓練であることを紹介。
「完全装備の極限状態になった隊員が、都会の街中を行進する。こんな危険な訓練をさせる訳にかいかない。中止にさせるためにも、区民の皆さんの声が一番、大切です。ともに声をあげ、今回のレンジャー訓練を中止にさせましょう」と呼びかけました。
この街頭演説ではほかに、須藤武美衆院東京11区予定候補・宮本徹衆院東京ブロック予定候補も訴えました。私(松崎いたる)も地元共産党区議団を代表して訴えました。
私(松崎いたる)が、この街頭演説で訴えた内容は以下のようなものでした。
陸上自衛隊が「6月12日にレンジャー訓練を行う」と板橋区に一方的に通告してきました。
レンジャー訓練というのは、防災や災害対応とは無縁の、正真正銘の軍事活動です。
実際、通告の文書には、「目的は、訓練練度の向上」とあるだけで、防災のボの字もありません。
訓練する隊員のかっこうだって、迷彩の戦闘服を着て、顔にも迷彩色の顔料を塗り、弾丸は持たないとはいうものの、本物の小銃、本物の銃剣を身につけるというのです。
こんなまぎれもない軍事訓練を、区民が生活している板橋の街の真ん中でおこなうなんてとんでもないことです。
みなさん、
板橋区には「板橋区平和都市宣言」というものがあります。そこには「日本国憲法の精神」を大事にし、「世界平和実現のために積極的な役割を果たさなければならない」と書かれています。
これはただの飾りだけの言葉ではありません。歴史の痛切な反省のうえに立った重い意味のこめられた宣言なのです。
板橋区は戦前までは、軍隊とともに発展してきた町でした。
高島平の地名だって、幕末に高島秋帆という人が大砲の訓練場をつくったのが、そもそもの由来です。
加賀のあたりには、明治時代から大砲や爆弾のための火薬工場がつくられ、陸軍直轄の兵器工場として終戦まで続きました。
民間の町工場も、多くが軍需関連の生産をするようになっていました。
しかし、そのためにどうなったか?
戦争中、米軍は板橋を軍需産業の拠点として、軍事目標として爆撃を加えました。
3月10日の東京大空襲は民間人を標的にした人道上許されない攻撃でしたが、
200人を超える板橋区民の犠牲者を出した昭和20年6月10日の空襲は、軍需工場に対する攻撃に民間人が巻き込まれたものでした。
この空襲で、多くの人命を失い、産業基盤も壊滅的に破壊された当時の板橋区民は、「もう軍隊とは縁を切り、これから平和産業で街づくりをすすめよう」と心に決めたといいます。
この思いと努力が、板橋区のいまのまちづくりのおおもとにあるのです。
自衛隊が6月12日に行おうとしている軍事訓練は、平和に生きようと決めた板橋区民への挑戦であり、板橋区をふたたび軍隊の街にしてしまう危険もはらむものです。
「街なかに武器を持ち込む危険な軍事訓練はやめろ」――この声をご一緒にあげていこうではありませんか。私は心から訴えます。