9月23日、大谷口北町集会所で開かれた「敬老のつどい」(板橋南後援会主催)には、あいにくの雨にも関わらず多くの人が参加し、手料理や歌声を楽しみました。
日本共産党の須藤武美・衆院小選挙区候補があいさつし、「来たるべき解散総選挙でなんとしても躍進して、ほんとに高齢者のみなさんをはじめ、まじめに暮らしている人たちが安心して老後を迎え、また安心して子育てをできる道を開く大きな一歩を踏み出したい」と決意表明しました。
とくとめ道信都議予定候補は「消費税は、社会保障のためというけれど、じっさいには社会保障のためになっていない。消費税というのは、生きていくうえで必要な物にも容赦なくかかってくる《命を縮める税金》だし、儲けがなくても消費税を払わなくちゃいけない《商売を壊す税金》。この増税計画をなんとしても食い止めたい」とのべ、来年6月の都議選に向けての決意を語りました。
つどいでは70歳以上の高齢者がお祝いされ、それぞれがあいさつをしました。また、原発の事故で福島県から大谷口に避難されてきた方が参加し、当時の状況などについて発言しました(別項参照)。
【A・Hさん(60歳男性)の発言から】
私は福島県いわき市錦町から大谷口に避難しています。思い出すのもイヤですが、去年の3月11日に地震と津波に遭いました。
東北の人間ですから、そんな天災は辛抱もします。しかし原発がドカンとなったのだけはぜんぜん予定外でした。
逃げずに残った人、避難した人、いろいろでした。私の80歳すぎの父と母は「ご先祖さまのお墓が大切だ。避難するなら、お前は勝手にしろ」と言って残りました。それで私だけ3月18日の夜に家をでました。
交通が遮断されていたので「東京まで歩いていこう」と覚悟したのですが、70キロぐらい歩いた茨城県高萩市で行き倒れになってしまい、そこで避難所を紹介されました。
その後、避難所を8カ所変わりました。牛久市にも、調布市の味の素スタジアムにも行きました。赤坂プリンスホテルのような慣れないところにも行き、それから池袋のビジネスホテルにも入れられました。そして一年たったときに大谷口のアパートを紹介され、そこに落ち着いています。
自分ではあまり「たいへんだ」という意識はないんです。なぜなら、もっとたいへんな思いをしている福島の人がたくさんいるはずだからです。どんなことがあっても黙って避難生活をしている人も多いのですが、じっさいには、福島から来たというだけでいじめられる子どももいますし、いわきナンバーの車にモノが投げつけられるということもあります。「日本人には人情がないのかなぁ」と思ったりもしましたが、人のうわさも七十五日です。
これからしばらくは大谷口にお世話になります。ここは、スーパーに買い物に行っても、気さくなおばちゃんがいっぱいいて大好きです。茨城の牛久といっしょで、話をするといいお母さんばっかりです。
このさき「大谷口に避難してよかったなぁ」と思えるように私も前向きにがんばっていくつもりです。