3月2日、板橋区議会本会議で
陳情111号「脱原発を求める意見書の提出を求める陳情」
陳情132号「『川内原発をはじめとする原発再稼働に反対し廃炉とし、原発ゼロ政策への転換に向けた意見書の提出』に関する陳情」
の2本の陳情の採択を求めて、討論に立ちました。
これらの陳情は自民党、公明党の反対で不採択となりました。
日本共産党を代表し、陳情111号「脱原発を求める意見書の提出を求める陳情」および陳情132号「『川内原発をはじめとする原発再稼働に反対し廃炉とし、原発ゼロ政策への転換に向けた意見書の提出』に関する陳情」を「不採択」とした委員会決定に反対し、同2件の陳情をともに採択することを求めて討論を行います。
この陳情2件はともに、現在運転を中止している全ての原子力発電所について、再稼働させずに廃炉とし、将来にわたって原発を不用にするエネルギー政策への転換を政府に意見すること求めています。
2011年3月11日に発生した東日本大震災とそれにともなう福島第一原発の重大事故は、政府や電力会社がこれまで「絶対安全」として推進してきた原子力発電事業に対して、その国民的信用を根底からくつがえすものとなりました。
多重防御によって守られ、複数の電源によって常に冷却されているはずの炉心は、すべての電源を喪失し核燃料が融解してしまいました。大量の、そして高濃度の放射性物質が福島県内のみならず広範囲の国土と大気と海水を汚染しました。10万とも15万ともいわれる多くの人々が住み慣れたふるさとから避難せざるを得ず、事故から4年が経過しようとしている今なお、帰還のめどすら立っていない状況が続いています。
いまだにこの原発事故は終息しているとは到底いえません。家や仕事、健康、命までも奪われた多くの人たちへの補償もすすんでいません。
それどころか、事故が地震による揺れで起きたのか、それとも津波によるものなのか、事故原因についてさえ解明されていないのです。
放射能汚染水は増え続け、漏れ続けています。太平洋に流れ出た汚染水により深刻な海洋汚染が広がりつつあります。
放射性廃棄物も増え続け、その処理方法も抜本策がありません。仮置き場となるところでは、住民の不安と怒りが広がっています。
安倍首相は「状況はアンダーコントロール」といいましたが、コントロールされているのは汚染水ではなく、国民への情報に対してであり、汚染情報の隠ぺいが続いています。
こんな状況のもとで、廃炉作業はこれから30年、40年、50年と長期になることは必然で、その危険な作業と莫大な費用の負担は、私たちの子や孫の世代が負わされることになります。
こうした福島第一原発事故の教訓をかえりみないまま、他の原発を再稼働させるなど、生命と人権の尊重、社会倫理、環境保全の視点から絶対に許されないことです。
本陳情の不採択を主張した自民党、公明党の議員らは、「原発が無ければ電力が不足する」「他のエネルギー源では経済効率が悪い」といった趣旨の発言をしていますが、これは経済問題を生命より上位においた点ですでに誤りであるだけでなく、原発の稼働によって日々多量の放射性廃棄物が発生し、その処理方法すら確立していない重大欠点や、ひとたび事故を起こせば回復不可能なほど社会に大きな損失をもたらすことも無視している点でも間違った議論です。
昨年5月、大飯原発の運転差止めを求めて裁判で、福井地裁は、
「極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことである」
「コストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である」
と原発再稼働を断罪しています。
倫理の問題だけでなく、実際上の問題としても、福島原発事故後、実質的に原発ゼロで大都市を含む日本全国の電力を十分に賄ってきた事実をみれば、「原発が無ければ電力が不足する」という指摘はまったく当たりません。
板橋区は原発事故以前、たくさんの電力を原発から受けてきた電力消費地です。だからこそ、この電力消費地・板橋から「安全な電力」「命と自然に優しい電力」を求める声を国のエネルギー政策に反映させるべきであると、つよく訴えるものです。
最後に重ねて、再稼働をストップさせ、脱原発を実現させるために、これら2件の陳情を採択し、国への意見書を提出すべきであることを申し述べ、私の討論をおわります。
(写真は3・11の津波で被災した女川原発の安全センター。2012年3月4日撮影)