【長文です】
区役所の正面玄関前にある「平和祈念像」(高さ2.5メートル。ブロンズ)。作者は長崎平和祈念像の制作者である北村西望氏(1884~1987)です。
1987(昭和62)年2月2日、現在の板橋区役所庁舎の落成と同時に、正面玄関前に設置され除幕式がおこなわれました。
除幕式で配布されたパンフレットをいまあらためて読み返すと、この像に込められた平和の願いの尊さを知ることができます。
作者のことば 北村西望
「この度、板橋区役所の依頼で、長崎平和像の『立像試作』を30年ぶりに再び手がけることになった。
思えば長崎の平和像は、この立像試作を経て座像へと移行し、『頭部試作』を加えることによって、原爆記念から平和祈念へと進展したのであった。
いま、その原点の『立像雛形』に帰り『頭部試作』と合流して一つの新作に昇華し得たのは作者としても大きな喜びである。
依頼された板橋区民の方々にお礼を申し上げる次第である。」
また東京国立文化財研究所名誉研究員・美術評論家の中村傳三郎氏は次のように解説しています。
平和祈念像について 中村傳三郎
「東京都名誉都民の北村西望翁は、旧臘16日が満百弐歳の誕生日、健やかに昭和62年の新春を迎えられた、ご同慶の至りである。
いうまでもなく、われわれ日本人は、世界で唯一の被爆国民として、“ノー・モア・ヒロシマ”“ピース・フロム・ナガサキ”と、戦後のこの40年を、全世界の人々に訴え続けてきた。それには、現在、世界に誇るべき最長寿の現役美術家として有名な北村西望翁のご健在とともに、翁の畢生の巨大なシンボル像「平和祈念像」(昭和30年8月8日、長崎市岡町の公園に建立)も一役買ってきた手応えが正に大きいといわねばならない。
さて、ちょうど丸2年前の昭和60年1月1日に当、板橋区は「平和都市宣言」を行なった。このたび、そのアピールにもふさわしい西望翁に製作依頼の「平和祈念像」(ブロンズ)が、新築成った区役所新庁舎棟の正面玄関先に見事完成設置されることになった。
こんどのは、逞しい男性裸体の立像で、あの長崎の座像の場合より早い時期に、高さ1メートル弱の像として試作されていたのである。それがこのたび、〈三分の一〉大の石膏原型として再生活用されることになった。
西望先生が、昭和25年末から翌年春にかけて練られた構想の基本要件には、原爆と平和と犠牲者の冥福との三つがあげられ、この三つを合せ持つ像として、「観音にしようか女神にしようか、着衣がいいか裸体がいいか、男性か女性か、立像か座像か」とデッサンを重ねて検討された。その結果、自分の得意な男性の裸体像でやるのが最善で、しかも原爆という強烈なものに対抗するには、その印象を強く与える男性像でなくてはならぬ、と決められたのである。
長崎の場合は、平和な感じが強調できる上に安定した構図が考えられ、座した聖哲が冥福を祈り平和を念じる、瞑想の半代跏趺座の形姿が求められた。こんどの場合は、長崎の「静」に対して、設置環境の条件もあり、「動」の立像が考えられたわけである。
大地にしっかりと両脚を踏まえ、右手は天を指して原爆を示し、左手は横に延ばして地の平和を示す格好になっており、特に原型では天を仰いだ顔の険しい表情も、“今更ケロイドでもあるまい”と修整されたという。
来るべき21世紀に向かって、なお積極的な平和の維持が望まれる、そのシンボル像として、区民の皆様に親しまれ、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」日常の戒めとなるだろう。」
(「作者のことば」と中村氏の解説は、1987(昭和62)年2月2日の除幕式で配布されたパンフレットからの転載です)