板橋区議会では自民党の右傾化が凄まじい。その一例が、2014年6月6日の本会議における「『教育勅語』を学校の道徳教材にせよ」という自民党区議の質問です。 私は2014年10月28日の決算調査特別委員会でこの問題発言をとりあげ、教育勅語の無効を確認する質疑を行いました。2014年10月28日の決算調査特別委員会
◯松崎いたる
私は教育の問題というところから始めたいと思います。中でも、道徳の教育の問題を取り上げたいと思いますが、道徳教育の中身について云々かんぬんする予定はございません。私がきょうやりたいのは、この道徳教育をする上での前提の問題となります。
まず、私が指摘をしたいのは、6月6日の本会議において、区議会議員のほうから、道徳教育において、教育勅語の、この現代語訳を導入したらどうかという提案がございました。これ自体、政治家としては批判をしたいところなんですが、きょう、私が取り上げたいのは、それに対する教育長の答弁についてでございます。
教育長は、このように答弁をいたしました。
「教育勅語には、親への孝行や兄弟愛などの友愛、学問の大切さ、遵法精神等が示されておりますが、これらは現在、学校での道徳教育で教えるべき価値項目として既に学習指導要領に位置づけられているところでございます」
という答弁でございました。
これをこのまま聞きますと、あたかも教育勅語が現在の学習指導要領に通じているのではないか、そういうふうにも、受け取られかねない、そういう答弁だったというふうにも、一瞬、思っています。
ですから、きょうはこの答弁について、真意をお聞きをしたいというふうに思います。
まず、ここで教育長は、親孝行や兄弟愛、学問することの大切さ、遵法精神などを挙げておりますが、これらを言うときに、教育勅語というものを引き合いに出さなければならないのかということです。これらの事柄が、教育勅語で初めて言い出されたものであるならば、その出典として言及をせねばならないということはあるかと思いますが、そんなことはないと思うんですよね。
こうした道徳項目に触れるとき、教育勅語を引き合いに出さなければならないのかどうか。教育勅語が初めてこれを言ったのかどうか、まずその認識についてお答えください。
◯教育委員会事務局次長
道徳教育における教育勅語との関係性についての考え方でございます。
教育勅語は、明治23年10月30日に、当時の日本の教育方針を示すために発布されたものでございます。昭和21年10月9日に教育勅語を教育の根本規範とすることが廃止をされておりまして、現在、その効力はないというふうに考えてございます。
したがって、道徳教育の価値項目とすることはできないというふうに考えてございます。
◯松崎いたる
私、聞いたのは、こうした親孝行などを説明するときに、教育勅語を引き合いに出さねばならないのかどうかということなんですけど、もう一度お聞きします。
◯教育委員会事務局次長
失礼いたしました。
今、申し上げました道徳の価値項目を教育するに当たりまして、教育勅語について引き合いに出す必要性はございません。
◯松崎いたる
じゃ、念のために伺いますけど、この教育勅語について、冒頭、教育長が触れられたような項目については、当たり前のことだから、いいことが書いてあるじゃないかというような意見というのは、まだ根強くあるわけです。
しかし、教育勅語全体を通して見ますと、それらが決して親孝行なら親のため、兄弟愛なら兄弟のため、学問のためなら自分のためというふうに書いてあるわけではない、そこが大きな問題だと思います。
お聞きをしますが、教育勅語の中段の部分に、「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」というところがありますが、この意味についてどんな認識を持っておられますか。
◯教育委員会事務局次長
教育勅語のご指摘の部分の意味についてでございます。
昭和2年に日本書籍株式会社から出版されております文部省検査済教科書尋常小学校修身書巻六には、次のように記載をされてございます。
「常に皇室典範・大日本帝国憲法を重んじ、其の他の法令を守り、もし国に事変が起こったら、勇気を奮い、一身をささげて、君国のために尽くさなければなりません。このようにして、天地と共に窮ない皇位の御盛運をお助け申し上げるのが、我等の務である」
というふうに記述をされておりますので、そのような意味であるというふうに理解をしてございます。
◯松崎いたる
昭和2年の解釈ですけれど、今から歴史的経緯を振り返るということも大切だと思うんですよね。
ただ、今おっしゃったように、昭和2年での解釈でも、結局のところ、一旦戦争などが起これば、「義勇公に奉し」と、勇気を奮って天皇のために命を捧げなさい、国家のために命を捧げなさいというのが教育勅語の大筋であったということが言えるかと思うんです。
ですから、幾ら親孝行だ、体を大事にしろ、学問も大切だって言っても、結局のところ、それらは全て天皇のため、国家のために捧げなさいというのが教育勅語であったというのが、今の解説から見てもね、言えるかと思うんです。
次にお伺いしますが、先ほど、教育勅語は廃止をされたというような答弁もありましたが、昭和23年になってからも、衆議院では教育勅語の排除決議、同じく昭和23年の同日に、参議院では教育勅語の失効確認の決議が上げられています。それぞれ、どんな内容なのか、また教育委員会は、これらの排除決議、失効確認に対する立場ですね、これらの決議を尊重する立場にあるのかどうかお答えください。
◯教育委員会事務局次長
教育勅語に関する国会の決議についてのご質問でございます。
昭和23年6月19日に、衆議院におきまして、教育勅語排除に関する決議、同日に、参議院におきまして、教育勅語等の失効確認に関する決議がなされてございます。この決議によりまして、教育勅語は既に廃止をされ、その効力は失われているものを確認したものだというふうに認識をしてございます。
教育勅語廃止後、昭和22年に教育基本法が公布をされまして、平成18年に改正されてございますが、今日の教育の基本方針は、教育基本法第1条教育の目的、第2条の教育の目標として示されているとおりであると認識してございます。
教育委員会としては、先ほどの昭和23年の決議を理解した上で、現行の教育基本法や学習指導要領に基づき、学校教育を進めていく考えでございます。
◯松崎いたる
今のご答弁、確認をさせていただきたいと思いますが、この衆議院のほうの排除決議には、
この教育勅語が今日もなお、国民道徳の指導原理としての性格を持続しているがごとく誤解されるのは、従来の行政上の措置が不十分であったがためである
と言いまして、
しかもこれらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基づいている事実が明らかに基本的人権を損ない、かつ国際信義に対して疑点を残すものである
と指摘をしているわけです。
この教育勅語が続いているかのような誤解をされるのも避けなければならない。国際社会から、教育勅語が今なお息づいているかのような誤解を受けることは避けなければならないというのが、この衆議院の排除決議の中身なんですけれども、ここから照らして、私がさきに指摘しました教育長の6月6日の答弁、これは不適切であったのではありませんか。
教育勅語の中身が学習指導要領に位置づけられているというように解釈されるような答弁は、今の立場からすると違っているのではないかと思うんですけど、この点、確認をさせてください。
◯教育委員会事務局次長
先ほど申し上げましたように、教育勅語については、その効力は既に失われているということを前提といたしましてお話をさせていただきますが、教育勅語に書かれておりますことをご説明するのではなく、価値項目、あるいは徳目等について、道徳の内容についてご質問がございましたので、それについてご答弁を申し上げたということで、教育勅語自体を保持する、あるいは維持するといった考え方ではなかったというふうに認識をしてございます。
◯松崎いたる
きょうの質疑の中でね、教育勅語を踏まえていないとか、あるいは教育勅語を引き合いに出さなくても説明ができるというご答弁もありましたので、私は今後とも、教育勅語と今の道徳教育、学習指導要領が連なっているかのような誤解を受けるような、そういう発言は慎んでほしいし、また、実際の教育実践の中でも、そのようなことのないように行っていただきたいというふうに思います。
それで、じゃ、現在の道徳教育についてお伺いをいたします。
教育勅語の一番悪いところは、国家から、あるいは天皇から、そういう権威でもって、上から子どもたちに押しつけてきたというところが、基本的人権にももとる最悪のものであったというのが今日の歴史的評価だと思うんですけれども、そのことを二度と繰り返してはならないと思います。
道徳教育は、子どもたち自身が主体的に考えていくことが大事であって、上からこうしなさい、ああしなさいと植えつけるようなものではないというふうに思うんですよね。
そこでお伺いしたいんですが、この道徳教育については、この道徳の成績を評価したりとか、あるいは道徳の授業でもって点数をつけるとか、そういったことは絶対にやってはならないと思いますけど、教育長の見解はどうですか。
◯教育委員会事務局次長
道徳教育におきます成績や評価、あるいは点数化についてのご質問でございます。
現行の学習指導要領におきましても、道徳教育の評価につきましては、児童の道徳性については常にその実態を把握し、指導に生かすように努める必要がある。ただし、道徳の時間に関して、数値などによる評価は行わないものとするというふうにされてございます。
また、平成26年9月に開催されました中央教育審議会の道徳に係る教育課程の改善等についての答申案の中でも、児童・生徒の道徳性の評価につきましては、多面的・継続的に把握し、総合的に評価していく必要があること、ただし、特別の教科道徳につきましては、数値などによる評価を行うことは不適切であることと示されております。
区教育委員会といたしましても、数値化による評価を行うことは不適切であると考えてございますので、児童・生徒がみずからの成長を実感し、人としてよりよく生きていくこととするきっかけとなるような評価を目指していきたいと考えてございます。
◯松崎いたる
私もそのとおりだと思いますが、今の答弁も、ちょっと確認をさせていただきたい。せんだって、この委員会の中では、やはり道徳教育について取り上げられまして、今、道徳で使っている副読本、これを家庭に持ち帰って親と一緒に話し合いなさいというようなことを指導されているというようなことを聞きました。
例えばですね、この道徳の副読本を家庭に持ち帰るかどうか、あるいは親と一緒に話し合ったかどうかということを、道徳の授業の中で評価をしたりするということもないということでよろしいんですか。
◯教育委員会事務局次長
道徳の副読本の家庭への持ち帰り等についてのご質問でございます。
本年4月に文部科学省から配布をされました冊子につきましては、文科省のほうから、ぜひ家庭での活用もというお話がございましたので、各学校を通じて、そのような活用をするように働きかけをしているところでございます。
今、委員ご指摘がございましたように、持ち帰って、家庭で話したからと言って、それが評価につながるものではないというふうに考えてございます。
◯松崎いたる
子どもたちがその本を読んで、これはいいからお母さんと一緒に、ちょっとね、お母さんにも考えてほしいんだと、子どもたち自身が判断がつくようになればね、それはそれでいいのかもしれませんけど、とにかく学校の先生から、これを持ち帰りなさい、親と一緒に、これを読みなさいと押しつけてしまったら、これは道徳にはならないと思いますので、今おっしゃったとおり、何か点数化をつけたりとか、上からの押しつけになるようなことは絶対にやってはならないということを申し上げておきたいと思います。