ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下を「しょうがない」と発言した久間防衛大臣。あわてて「被爆者を軽く見ているかのような印象に取られたとすれば申し訳なかった。これから先は講演で言ったような話はしない」と、「陳謝」したそうですが、これで許すわけにはいきません。
「…とすれば」とはどういうことでしょうか? いまでも「間違ったことは言っていない」と本人が思っていることの証です。
こんどの発言は単なる“失言”ではありません。この発言が報道されることも計算づくでおこなわれたのではないかと疑わざるを得ません。発言したあとで「陳謝・撤回」したところで、被爆国の大臣が原爆投下という人道にそむく行為を容認したというインパクトは消せるものではありません。国民からの反発は「陳謝」でかわし、アメリカに対してはメッセージを発信する…とんでもない対米従属です。
これまでも“問題大臣”たちをかばい続けてきた安倍首相がまたしても久間防衛大臣をかばい「米国の(当時の)考え方について紹介したと承知している」と語っていることにもあきれます。そのアメリカの考え方に寄りかかって「原爆投下はしょうがない」と発言しているのですから、「紹介した」だけでは済まされません。
日本国民の憤りも感じることができず、頭のなかまで、「アメリカの考え方」になってしまっている人たちが、「自主憲法」だとか、「日米同盟の強化」とか、ミサイル防衛だとかを声高に叫んでいるいまの状況はほんとうにおそろしい。アメリカが引き起こした戦争に日本国民が巻き込まれても「しょうがない。恨んではいない」で済まされてしまうのでしょうか。
Excite エキサイト : 政治ニュース