日本共産党板橋南後援会ニュース(07年9月号)に板橋区東山町にお住まいのI・Sさん(85歳)から、貴重な戦争体験の手記を寄せていただきましたので紹介します。
水の一滴は血の一滴
――「硫黄島」を生き抜いて I・S(85歳 東山町)
生類の生活には一日として水を欠かすことはできません。
私は身をもって水の尊さを体験しました。太平洋戦争中、地熱地帯の硫黄島に派遣され、生き地獄を味わったのです。島には水と野菜がまったくありません。草を噛み、熱帯植物の枝に残っているひとしずくの水を手ぬぐいに湿しながら壕掘りに従事させられました。四〇度近い硫黄島の熱気と煙で息苦しいなか、ふんどし一本で掘り続けました。
そのうえ、多くの兵士がアメーバ赤痢に感染し、便所通いが忙しくなりました。便所を中心にあたり一帯にハエが充満し、それがいっせいに飛び立つうなりが耳をつきました。衛生面もゼロでした。
食事は硫黄の海水で炊き、喉を通らないほどまずいもの。栄養失調で体はたちまち衰弱し、足が重く上がらなくなり、目も黄色くなり黄疸になりました。多くの戦友が亡くなっていくなか、唯一の望みは雨。恵みの雨が降りそそいでくれたときが一番ありがたかった。
「もうだめだ」と思ったとき、とつぜん北硫黄島に転属となったので、命は助かりました。激戦となった硫黄島本島で散華された二万二千余名の方々に申し訳ない思いでしたが、本島に向かって水を捧げ合掌する以外何もできませんでした。
復員後から現在に至るまで毎朝、硫黄島に向かい水を上げ続け、ご冥福を祈っています。
私が敗残兵として硫黄島から持ち帰ったお土産は、水を絶対に無駄にしないことです。いまでもコップ一杯の水で歯磨きしています。もっと水を大切にする習慣を身につけることが必要だと思います。水の一滴は血の一滴であることを後世に伝えていきたい。