東日本大震災からすでに70日以上も経ちましたが、いまだに多くの方が不自由な避難生活を余儀なくされています。
また福島の原発事故では、村や町ごと、遠く離れた土地へ集団避難する事態となっており、いつ終息するのか、先行きは不透明なままです。
私は、2000年に東京・三宅島で噴火災害が発生し、全島民が島外避難したとき、日本共産党の東京都議団の事務局員として、災害対応にあたりましたが、そのときに書いた小論を読み返してみて、今日の事態に生かすべき教訓があるように思えました。
いまから
10年前の文章ですが、紹介させていただきます。
◎論点 全島避難から一年を過ぎて……三宅島島民のいま
松 崎 参(党東京都議会議員団事務局)
《『前衛』2001年12月号より》
三宅島の島民は慣れない都会で間もなく二度目の冬を迎えようとしています。昨年九月二日の全島民「島外避難指示」から一年を過ぎたいま、島民は何を必要とし、東京都や国はどんな支援を行うべきなのでしょうか。
◎論点 全島避難から一年を過ぎて……三宅島島民のいま
松 崎 参(党東京都議会議員団事務局)
《『前衛』2001年12月号より》
三宅島の島民は慣れない都会で間もなく二度目の冬を迎えようとしています。昨年九月二日の全島民「島外避難指示」から一年を過ぎたいま、島民は何を必要とし、東京都や国はどんな支援を行うべきなのでしょうか。
日本共産党東京都議団は、くり返し被災状況や生活実態の調査をおこなってきました。そして、都議会の場で、避難生活への公的な支援と、帰島後の復興に向けて個人補償を含めた万全の生活再建策を講じることを、一貫して都に求め、被災者生活再建支援法の適用や、働く場としての 「げんき農場」 の開設などを実現させてきました。これまでの調査と論戦で浮かび上がった島民の要求と、行政の施策について検証したいと思います。
まず指摘したいのは、災害に対する自治体の備えの問題です。火山列島である日本では、噴火や地震は避けて通れません。阪神・淡路大震災や有珠山噴火災害など、過去の災害から教訓を学び、災害から住民を守る体制を日頃から備えておくことは、自治体の責務です。しかし、今回の三宅島噴火災害では、全体として都の対応は後手にまわったものでした。そのことが、現在、島民が抱える困難の大きな要因となっています。今後、同じ事態をくり返さないために、真剣な対応が求められます。
●長期化する避難生活
帰島を阻んでいる有毒な火山性ガスは、最近になって減少する傾向ですが、ガス噴出はまだ止まっていません。本格的帰島のめどが立たない現段階では、さらに長期化する避難生活を支援することが、ひきつづき最重要の課題です。
島民の避難生活はどんなものなのか。今年三月に三宅村がまとめた村民アンケートからみてみましょう (ここで紹介するデータは、年金生活者と公務員の世帯を除いたもの)。
避難後「収入が減った」世帯は七八・一%。なかでも「全く収入がなくなった」世帯も三二・五%にのぼります。自営業者だけに限ると「収入なし」は五〇・五%にもなります。「貯金を取り崩して」 生活している世帯は六五・九%です。いまの暮らしが 「苦しい」、あるいはこれから「苦しくなりそうだ」との回答は、高齢になるほど高くなっています。
●「食事は白いご飯だけ」の実態も
全国から寄せられた義援金も、被災者生活再建支援法の支援金もすでに使いきってしまった世帯が増えています。貯金の取り崩しも限界です。
実際に避難先を訪ねると、厳しい現状を訴える島民の声にぶつかります。「電気代が心配で、都から支給されている冷蔵庫もコンセントに入れていない」。「おかずが買えないので、食事は白いご飯だけですましている」。「生活が苦しくて、消費者金融につい手を出したが、返済できず、金融業者に追われている」など、すでにギリギリの状態です。
「島では畑でとれる野菜でも暮らせたが、ここでは何でも買わなくてはならない。島では考えられないほど、避難先での生活はお金がかかる」とある島民は話します。避難が長引くほど島民の生活は逼迫していきます。
こうしたなか、生活保護を受ける世帯が増えています。従来の受給世帯数を上まわる世帯が避難後一年の間に、新たに保護を申請しています。
生活に困窮していても生活保護を受けられない世帯も少なくありません。受給するには貯金や生命保険がないことが前提になりますが、帰島後の生活再建のために蓄えは必要です。
都が、継続的な生活資金の支給に踏み出すことは、いよいよ重要です。
●日常生活資金支給の制度化を
島民の要求が実り、昨年十二月から被災者生活再建支援法による支援金の支給が始まりました。国の支給基準から外れた世帯にも都単独の支給がなされ、その結果、最高で百万円の支援金が国、都あわせて約千六百戸に支給されました。しかし、残念なことに、同法の支援金は家具や家電品などに使途が限定されており、日常生活に欠かせない毎日の食費や日用品、交通費などは、対象になっていません。日常生活に対する支援は、引き続き重要な課題です。
北海道の有珠山噴火災害では、道の財政措置による生活支援事業として、月額で食費一人三万円、生活諸費一世帯三万円が九カ月にわたって支給されました。長崎県の雲仙普賢岳噴火災害でも、県などによって一日千円の食費が支給されています。財政力がはるか上回っている東京都も、こうした経験に学び、食費や日常生活の必需品に使える生活支援金支給を制度化すべきです。また被災者生活再建支援法を、被災者の実情に合わせて改善することも必要です。
●借金返済の猶予を
島民に追い討ちをかけているのが、借金の返済です。一九八三年の噴火災害のときに、生活や営業の再建資金として公的機関や民間金融から融資を受け、いまだに返済途上の人がたくさんいます。
島民の強い求めに応じて、都は、災害復旧資金融資などの公的制度融資や商工業者及び農林漁業者への既往債務について、返済を猶予するとともに利子補給することにしました。
しかし、住宅や自動車などの民間ローンについては、多くの場合、元金の返済は猶予されているものの、利払いは続いています。「住めない家のためのお金が、預金通帳から容赦なく引かれていく」。ここでも島民の嘆きが聞かれます。民間の融資についても、利子の補給や利払いの猶予を実現させることが、生活支援のうえで欠かせない課題です。
●就労の場の確保
避難期間中の働く場を確保する問題も重大です。島の人々は、みずから働いて得た収入で生活する意欲を持っています。しかし仕事探しに大変な苦労があり、人口の三割以上を占める高齢者はさらに困難となっています。
先にあげた三宅村のアンケートでは、「仕事をしている人」は三六・四%。六十歳代では二〇・九%にすぎません。仕事につけないのは「年齢が高いため」(六六・四%)、「噴火の見通しが分からないため」(一四・五%)です。ある島民は、「島では、畑仕事で現役で働いていたのに、こちらでは年寄り扱いされて働けない」といいます。
都は国の緊急地域雇用特別基金事業を利用した雇用対策をすすめています。中でも三宅島特産のサトイモやアシタバを栽培する「三宅島げんき農場」の開設は画期的です。
しかし、全体として雇用対策事業は限られており、きわめて不十分です。就労問題の抜本的解決に向け、都独自に業種と採用枠を拡大することや、島民を雇用する区市町村や民間企業を都が助成するなど、雇用を促進する措置が求められます。
●一時帰島を終えて
全島避難後初めての一時帰島が、今年九月十七日から十月二日までの問、五回に分けて実施されました。一世帯一人ずつ、千五百八十七人が参加し、被害を確認しました。
泥流が屋内まで入り込むなど、家屋に大きな被害を受けている家は三十九戸に及んでいます。また、火山性ガスでトタン屋根が腐食し、雨漏りしている。イタチやネズミが室内を荒らしている。長期の不在のため商店や民宿などの商品や食材が使えなくなっているなどの被害がでています。
深刻な被害状況を目の当たりにしても、島民は希望を失っていません。一時帰島した人たちは、「屋根を直せば、家はまだまだ大丈夫。今すぐ修理できる手立てを」とさっそく村に働きかけています。島の大工さんに仕事を頼めば雇用確保にもなります。
家の片付けや応急修理のために、一世帯複数人で再度一時帰島するなど、緊急の対策も要望されています。民地の泥流除去、家屋の補強・修理などを公共事業と位置づけ、民有地内の復旧工事をすすめることも重要です。
●復興めざし住宅再建への公的支援を
砂防ダムの建設や、道路や水道などの公共施設の復旧工事がすすんでいますが、都は復旧・復興計画の具体的内容を島民に明らかにしていません。情報を公開して、計画の早い段階から島民の意見を聞くべきです。
住宅に被害を受けた世帯に対して、住宅復興のための個人補償制度や公営住宅の提供など、帰島に備えた対策が求められています。都は、帰島後の住宅再建策として、災害援護資金の貸し付けや、村を支援して村営住宅を供給するといいます。しかし、島民が強く要望している個人補償制度については、まだ踏みだそうとしていません。
昨年の鳥取県西部地震では、県が「被災者住宅再建支援基金」を創設し、所得制限なしで最高三百万円までを支給する公的支援を実施しました。この経験を三宅島の復興に生かすことは、島の将来を左右する重大な問題です。住民の生命、財産を守るという自治体本来の立場に立つならば、東京都も当然、公的支援に踏み出すべきです。
(まつざき・いたる)