「日本共産党板橋南後援会ニュース2008年4月号」から「ご近所の名所」の記事を紹介します。
宝田神社
祭神は、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)。康正2年(1456年)に太田道灌が江戸城を築くにあたって、千代田、祝田、宝田の三村の住人を各地に移動させましたが、宝田姓を名のる一族は上板橋村栗原に移り住みました。いまの桜川や東新町の一帯です。電話帳をみると、現在でも宝田姓が東新町には15世帯、桜川には12世帯が居住されています。
この方々は大昔に時の権力によって移住させられた人の子孫ということになるのでしょうか? いま公社向原住宅の820世帯が強制立ち退きを迫られていますが、支配層の考えは昔もいまも基本的に変わらないようです。
さて、宝田氏が移住した際、奉ってあった稲荷神社を石神井川を見下ろす小高い丘(いまの城北公園)に遷座されました。しかしその後も公園設置のため東京都に土地が買収されたため、昭和16年ころに桜川3丁目に再遷座されました。数年前まで茂呂山通り沿いの目立つ場所にありましたが、現在は個人住宅の敷地内にひっそりとまつられています。
毎年10月19日のえびす講祭りに中央区日本橋の宝田神社でおこなわれるベッタラ市で売られるベッタラ漬けは宝田氏の先祖が考案したものだといわれています。
(向原・高山)